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耕せにっぽんとは

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耕せにっぽんとは

耕せにっぽんとは
ひきこもり・不登校と呼ばれる未来に希望を持てない若者達と共に、就労研修で「人のお役に立つ喜び」を学び、農業研修を通じ、野菜を育て「感謝して生きる喜び」知り、共同生活において「人と向き合う心」を学ぶ、若者の自立支援学校です。

私たちは共同生活を通じ、家族のように関り、仕事を通じて人を喜ばせる事こそ人生の喜びであることを伝えています。仲間と共に支えあい励ましあう事で、研修生は人としての輝きを取り戻していきます。

こんなご家族のお悩みの方へ

  • 中学2年から人間関係の修復ができず不登校をへて引きこもり
  • スマートフォンを与えてからネット・ゲーム依存による引きこもり
  • 通信制の高校に入学しネット・ゲーム依存からの引きこもり
  • 就職、進学に高い理想を持ちすぎ初めての挫折からの引きこもり
  • 公営の引きこもり支援センターに多数相談したが解決に至らない
  • カウンセリングや心療内科に相談したが解決に至らない
  • 完璧主義から頑張りすぎによる引きこもり
  • 両親の離婚や不仲からの自己否定による引きこもり
  • 引きこもりの理由を親に向け、親に暴言を吐く
  • 特に理由もなく大学進学時や大学卒業時にやる気が出ず引きこもる
  • 仕事をするも数ヶ月単位で転職しその後自信を失い引きこもる
  • 兄弟に対する劣等感からの引きこもり
  • 自己肯定ができず過去自殺未遂を知り、どう関わっていいかわからない
  • 社会に出て叱られることに慣れず自信を失い引きこもる
私たちがご家族の悩みを
一緒に解決致します。

ご自宅に訪問し説得できる理由

長年の実績により多くの若者たちの引きこもる理由を聞くと
「他人との比較」で悩みひきこもっています。

  • ・失敗は恥ずかしい事
  • ・挫折はあってはならない事
  • ・失敗し謝るぐらいなら動かない
  • ・他人は失敗していない
  • ・他人は悩んでいない
  • ・こんなことを考えているのは自分だけだ

と親にも告げず一人で悩み、家から出れないことに
必ず罪悪感を持っています。

そんな若者に「君一人じゃないんだよ」
実際にかかわってきた若者の事を
実例をあげ
数時間かけてしっかり伝えます。

そして苦しんでいる罪悪感から解放することを約束します。
数少ない時間の中で本人の長所を認め伝え続けます。

そうすれば消えかけていた
本人の前向きな心を取り戻す事ができます。

そして親だからこそ出来ない事、
他人だからこそ出来る事もそこにはあるのです。

ご両親の決断と覚悟もあってこその説得になりますので、
ご両親とも時間をかけてしっかりと説明致します。

このご両親の愛情と我々の想いで、
勇気の一歩を踏み出せない若者に
希望を与える
ことができるのです。

耕せにっぽんで
研修生が人として大きく成長する理由

POINT 1 共同生活と研修内容の充実 共同生活と研修制度
POINT 1 共同生活と研修制度

同じ悩みを共有した研修生たちとの共同生活を通して、生活習慣を整え協調性を学びます。また外部で就労体験をするなど、多くの人と触れ合い、仕事を通して人のお役に立つ喜びを学んでいきます。

共同生活は問題が起こって当たり前です。
時には人とぶつかり、意見を交えることも研修です。
問題の乗り越え方を学び、コミュニケーション能力も自然と上がっていきます。

その人その人に合わせた研修先や仕事なども指導員との面談を大切にしています。

POINT 2 肥川 真理子(まりちゃん)の存在
日直制度と親への感謝力
POINT 2 日直制度と親への感謝力

研修生は必ず定期的に日直当番をします。日常生活の掃除は全員でやります。

今まで家で普段全くしたことない子達が他の研修生のために食事を作ったり、洗い物や片付け洗濯をしたりすることで、自分の事は自分でできるようになると同時に、今まで親に当たり前にしてもらっていた事への感謝の気持ちが自然と湧きあがってきます。

来て数ヶ月でほとんどの子達が親に自然に感謝できるようになります。

POINT 3 就労研修、農業研修による自立への自信 就労研修、農業研修による自立への自信
POINT 3 就労研修、農業研修による自立への自信

研修スタートしてから約1週間から1ヶ月程度で子供達は外部就労により提携している様々な就労先へバイトと同等の仕事に参加していきます。

実際に社会に触れ、失敗も問題も経験し乗り越える体験によって、それが自信になり社会に出るための準備ができていきます。

農業では土に触れて野菜や果物を育て、「生きること」や「感謝の気持ち」を自然の中で学びます。

スタッフ・関係者紹介

東野昭彦

東野 昭彦 株式会社耕せにっぽん 代表取締役

大阪出身。

22歳の時に急性腹膜炎で死にかけて、このとき色々なことで自分を追い詰めて体を壊し、死んでしまってはもともこもないと思った。 その数年後阪神淡路大震災で大切な友人を亡くしたことをきっかけに25歳で北海道に移り住む。 そしてタレント派遣事務所に所属し、TVショッピングキャスター務めていた。その経験を活かして27歳で通信販売会社を設立。 34歳の時に『中村文昭氏』講演会で出会い、中村氏と共に日本の元気のない若者に勇気を与えよう!とひきこもり農業を始め、現在の「耕せにっぽん」活動に至るきっかけとなる。 「ひきこもり・ニート」と呼ばれる競争社会に夢をもてない人たちが、世の中で認められ、お金のためだけではなく、世の中の役に立ち、人に喜んでもらう事でやりがいを感じてもらいたい。 世の中に職種は沢山あるが人の仕事は「人の役に立つ事」一つしかないと思う。現在の日本には、認めてもらえていないと感じ自分に自信を無くしている人が多くいる。 働くことで人の役に立ち、自分に自信が持てる。そして自分の存在を認められ、人から必要とされていると実感する喜びを感じることができるようになる。 根本的には家族に原因がある場合が多く、家族とのコミュニケーションが取れないため、社会との関わりをもつことができなくなる。 生きてゆく事を難しく考えるのでなくシンプルに生きる事を彼らから教えさせられた。 中村さんからの教えの中で1cmの成長でなく1mmの過程の成長で認めて受入れる事、コップを上向にして教育を行い下向きにしない事など、常に原点に戻ることができる。 耕し隊は出来ない事からワンステップ出来るだけで良い、社会と大きなギャップはあるがまずは一歩一歩基本を教える、やっている事を隠すのではなくオープンにして教え、自分達のやり方だけではなく違うやり方を自分で考えて行動する力を持つ人を育て元気にする事が大事と思う。

安達菜未

安達 菜未

娘と息子2人の不登校と引きこもりを経験。
娘が小6の時に学校での出来事で不登校になり、発達障害、摂食障害、鬱で入退院を繰り返している中、小5の息子が突然不登校になる。

当時は、娘のことで精一杯で息子まで何故?!と目の前が真っ暗になりスクールカウンセラーや民間のカウンセラー、精神科など色々な機関に相談しましたが、状況は変わらず。
昼夜逆転ゲームばかりでお風呂もなかなか入らない息子に、私の不安と焦りがどんどん膨らみ、不登校と引きこもり7年目の18歳になったのを機に以前から相談していた耕せにっぽんの東野さんに自宅まで来てもらう決心。

そして耕せにっぽんに参加するための説得をしてもらい、息子は耕せにっぽんに行く事を決意して翌朝、石垣島へ。
耕せに参加して息子も自分と向き合い、今まで周りのせいにしていたことに気付き「お母さんのせいにしてごめんなさい。」というまでに。

卒業後はもう一つの家族、仲間のいる石垣で就職。(研修期間は9ヶ月で卒業)

代表東野さんと、石垣でお世話になった小見山さんには本当に感謝しています。
息子が旅立ち、私も自分と向き合う時間をもち、親も子離れすること、子供が自立するということは不登校や引きこもりの子と親にとってなかなか難しい問題だと実感。

人との関わることが怖くて自分をなかなか出せなかった息子が、耕せにっぽんで人と関わり、本来の息子を取り戻し楽しく人のために働く意味を学んで成長する姿を見て親の役割は「心配」ではなく「信じる」ことだと教えてもらう。

子育てで親も育ち、子供は他人との関わりの中で社会が自立する心を育ててくれるものだと改めて感じ、子育ての壁にぶつかった経験から、心理の分野やカウンセリングなどを学び子どもとの関わりも改善。
現在は耕せにっぽん!北海道校でカウンセラー職員に。

息子と同じように、どの子供達にも成長する力があると心から信じています。

耕せでは同じような経験をした子達がお互い支え合い、学校では教えてくれない生きていく上で大切なことを学び毎日繰り返し人との関わりを体験します。

個人の活動として2019年に不登校、引きこもりの子や親のサポート支援のためのNPOブリリアントを設立。
悩んでるお母さんのランチ会を月1度開催。電話やメール相談も受けています。
もし、お子さんが不登校や引きこもりになったら1人で悩まず是非一度ご相談ください。
お子さんの笑顔を取り戻せる第一歩になるはずです。

小見山 誠

小見山 誠

◆1971年6月30日生
大阪府寝屋川市出身

高校生の頃に子供に関わる仕事をしたいと思い、初等教育学科のある大学を受験するもことごとく落ちた結果、なんとか他の方法で子供に関わる事が無いかと考えたすえスイミングスクールを目標にして専門学校に進学。

スイミングスクールにて幼児から中学生くらいの年代を中心に、生き甲斐とやり甲斐を感じ子供の育成は天職だと思っていた矢先に阪神淡路大震災の影響でスイミングスクールが倒壊し働く意欲を失い数年はただ食べて行く為だけに働いていました。
その頃始めた飲食の仕事がその気から本気になり20年近く飲食業界に身を置き働いてきました。

37歳の時に一念発起し自分でお店を開業するも、2年で閉店となり自暴自棄になりながらも前職でお世話になっていた会社にお世話になる事になりました。

その会社から石垣島への転勤のチャンスをいただき石垣島へやって来ました。

石垣島で店舗での営業や出店準備などをやりながら働く中で、人間関係に悩み鬱病を発症。
その際に以前からお付き合いのあった東野さんから連絡をいただき、耕せにっぽんを見学に来た事がきっかけで職員に迎えて頂きました。

全ての私の人生を振り返ると、やはり人との出会いが常にチャンスに繋がって来たと実感しています。

ここで出会った子達には、石垣島でたくさんの人と出会いたくさんのきっかけを掴んで欲しいと思い、寄り添い関わらせて頂いています。

案浦豊土

案浦 豊土
株式会社クロフネファーム 代表取締役

◆1978年5月9日生まれ。
◆福岡県糟屋郡粕屋町出身
◆同志社大学経済学部卒業 1998年度生
◆好きな言葉:「美しいものを美しいと思える、あなたの心が美しい」 相田みつを

◆現在:野菜を中心としたビュッフェレストラン『クロフネファーム』を経営。
就労支援A型施設として運営し、障がい者の方に働く場所を提供して、その楽しさを共に分かちあっている。
『地元の食』と『障がい者就労』という演題で講演活動も行っており、障がい者に対する意識や見解を広く伝えている。

将来の目標は、『47都道府県クロフネファーム化』であり、一人でも多くの障がい者の方が働ける場所を広げることに努めている。

大学卒業を目前に控え将来の進路を考えていた時、ウエディング業界へ進むことを決意。東京で働きながらウエディングの勉強をしているとき、中村文昭との出会いがある。

2005年、東京から転職で三重の地へ。
有限会社クロフネカンパニーに入社し、ウエディングの仕事をする傍ら、代表である中村文昭のマネージャーを務める。
一日に50~60件ほど鳴る電話の対応をしながら、『頼まれ事は試され事』を合言葉に、頼まれることは断らずに全てをこなしていく。
一時期はウエディングプランナー補佐、中村文昭マネージャー、イベント企画、ホールスタッフ、物販管理をこなす。

そんな中、中村文昭が講演先の仙台で、障がい福祉事業所としての野菜ビュッフェレストラン『六丁目 農園』に出会う。

『この料理を障がい者さんたちが作っているのか!』と、その料理のクオリティの高さと美味しさに感動し、このモデルを伊勢でもやろうと提案がある。

会社の事業としてやっていくことが決まったときに責任者を任せられる。
当時は飲食の経験がわずかにあっただけで、障がい福祉に関しては知識や経験は一切なく、全くのド素人。文字通り0からのスタートとなった。

2016年12月12日、クロフネファーム~伊勢からやさしい風が吹きますように~がオープン。
連日たくさんのお客様にご来店いただけるようになる。
オープン当初は3名だった障がい者スタッフも、最大で28名まで増え、みんなで一緒にお客様に喜んでいただくための新メニューの考案や、様々なイベントを企画している。
ひとりひとりの個性・能力と向き合いながら、可能性を信じて日々新しいことに挑戦している。

2020年の新型コロナウイルスの影響でビュッフェレストランは閉店。
新しい形はないかと模索していた時 に、焼き芋スイーツショップと出会う。
2021年6月、焼き芋スイーツショップ『kirin no tamago(キリンのタマゴ)』をオープン。
“47都道府県キリンのタマゴ化計画”
47都道府県に『kirin no tamago』を広げ、障がい者の方が活き活きと働ける場所を増やすため、全国の方とのつながりを作り活動している。

北野 光治

北野 光治

福井県出身の北野です。
耕せにっぽんでは事務を担当しています。ニックネームは「ガッツ」。

元々僕自身、2019年に短期研修生として耕せにっぽんに参加していました。
参加した理由も、どこの職場へ行っても人間関係が上手くいかず、行き詰まっていたことからでした。

短期研修を経て、人間関係を克服していくことが自分の人生にとって必要だと思いました。
そして、自分自身も元々引きこもり気味で無気力無関心になってしまったこともあり、実体験が何か役に立てるならと思い、耕せにっぽんで働いてみようと気持ちが固まっていき現在に至ります。

中村 文昭

中村 文昭 有限会社クロフネカンパニー 代表取締役社長

三重県伊勢市出身。

耕せにっぽんの言い出しっぺであるが、実務や運営は全て東野が担当。
18歳の時、家出同然で単身上京、職務質問を受けたお巡りさんが友人第1号。弟のように可愛がられ、仕事・食事の世話をしてもらう。 ある日、そのお巡りさんに連れてもらっていた、とある焼き鳥屋で人生の進路に影響を受ける大物リーダーに出会う。焼き鳥屋で出会った男性は、大きな事業構想を持ち、そのロマンに惹かれ、その場で弟子入りを決意、彼の商売(野菜の行商)を手伝い始める。 将来の基盤をつくるために、毎日、300円の生活。お金を節約する熱心さに感心した農家のおばちゃんにかわいがられ産直方式をヒットさせる。19歳の時、行商で得た資金を元に六本木に飲食店を開店、店を任せられる。その後、様々な方法でお客様を満足させて、5店舗まで拡張。 21歳の時、三重県に戻り伊勢市で10席の飲食店「クロフネ」オープン(1号店)。三重No.1のお客様に喜ばれる店づくりを目標とする。お客様を徹底して喜ばせ大繁盛させる。 26歳の時、リビングカフェ「クロフネ」をオープン(2号店)。若者が、本当に楽しく、皆に祝福されるようなレストラン・ウェディングを始め、演出を手がける。現在、リビングカフェ・クロフネにて年間50組の手づくり結婚式を行い、伊勢でダントツの人気No.1店となる。現在は自分の経験を活かした講演活動・人材育成にも力を入れ、全国を飛び回っている。 講演会を行う一方で離農が進んだ北海道の農地をお借りして、都会でひきこもり・ニートと呼ばれる若者達と一緒に農業を行っている。(※『耕せにっぽん活動』別紙参照) 最近では小学校や中学・高校などの学校関係にも講演会で呼んでいただく機会が増え、教育現場の活性化にも強く関心を抱いている。 →クロフネカンパニーHP https://www.kurofunet.com/nakamura/

肥川 真理子

肥川 真理子

耕せにっぽん在籍 2005年〜2018年まで。

大分県佐伯市出身。現在は引退して大分在住。

医師から「20歳まで100%生きられない」と宣告されるが、高校まで健常者と同じ学校で同じ授業を受け「薬で治せないのなら、食べ物でこの子の身体をつくり直す」という家族の信念のもと、大病をすることもなく育つ。
高校時代から料理づくりを始め、卒業後は姉夫婦の子どもの子守をしながら家族の食事を一手に引き受けていました。 25歳のときに母が乳がんを発病、5年後に他界。その後も祖母や父の介護など、長い介護体験で健康と食の大切さを思い知り、無農薬・無添加の食材を使った料理にこだわる。姉が講演会を主催したことをきっかけに中村文昭との交流が始まり、その人柄と料理の腕に感動した中村から、構想中であったニート・引きこもりと農業を結ぶプロジェクト『耕せにっぽん』の食事担当として誘われ、快諾。北海道安平町で「自分がこんな体で生まれてきたからこそ、若い子には安全なものを食べさせたい」という思いで、全国から集まり農作業をする若者の食事を作るとともに、思うように動かない身体で料理をするその姿を見せることで言葉のいらない教育を行っている。

施設紹介

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北海道校

住所: 059-1941 北海道安平町追分青葉2丁目76-1 TEL : 0145-26-6880

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石垣島校

住所: 907-0241 沖縄県石垣市字桃里168-234 TEL : 0120-914-922

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伊勢クロフネ校

住所: 516-0007 三重県伊勢市小木町560-8 TEL : 0120-81-9620

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